母と対面とアーモンドの花






お母さんに 会いに行けなくて、ごめんなさい、の気持ちで書いた。初回 


早速姪達に「ブログ始めたよ」と連絡したら、すぐ母への面会の申し込


みをしてくれた。今は直接会えないらしいが 10分間のビデオ会見が 


できると、いうことで 5年ぶりだろうか?母の顔を見れたのは、「会え


るようになったら 横に座って読んであげると 全部理解できる、と思う


よ」と 言ってくれた、姪の言葉に 励まされた。そして 日をそんなに


空けないで 面会に行ってくれた時の ビデオカメラの映像を 送ってく


れた。「るみ姉ちゃんがブログ書いたよ 一回目 」と 言ってる姪に、


三階にいる母は「一階に行こうか」と答えている、とんちの 効いた受け


答えをする母をみて、ほっこり した気持ちになった。遠く離れている


のにこんな対面ができて これだったら 生きてる間に会えるかも?と 


期待しながら、久しぶりに言葉には出来ない 幸せな感情に (母と喋っ


た後に いつも味わう) 浸った1日でした。熊本地震の事も コロナ騒動も 


何も分かってないようだけど お世話になってる兄嫁さんや 6歳まで 


天草で育てた 双子の孫をはじめ 家族に 愛されてる事に感謝しながら


も その昔 と言うのかな?自分の母親が最後の頃 ボケてはいたけど 


観音様のような 慈悲に溢れてたお婆ちゃんだったので 私はお婆ちゃん


に会うのが楽しかった。挨拶に行くと「おお、春きゃ」(きゃは天草弁で 


か の意味)と 叔母の名前で 返事が帰ってきた。叔母には「るみ子キ


ャ」と言うらしい 母は昔 あんなにしっかりしてた自分の親を見てて自


分はそうなりたくないと言う 強い気持ちが 脳みその奥の奥の方で働い


てるのではないだろうか、面倒を見てくれていた 長男夫婦の叔父さん叔


母さんは大変だったと思うが、日当たりのいい部屋を改造して ベッドを


二つ並べてた二人 そのおばあちゃんを 歩けなくなったけど頭がしっか


りしてたお爺ちゃんが 愛情たっぷりの眼差しで 見守ってる二人の姿は


美しかった。7歳の息子を挟んで 3人のいい写真が撮れた、3歳の時 里


帰りした時も 海を見ながら座ってるお爺ちゃんの横に ちょこんと寄り


添ってる息子 遠くから訪ねて来た曾孫を 見る眼差しが 何ともいい、 


2枚の写真は 私の宝物の一つでもある。5年ほど前  久しぶりに 横


須賀にいる母の弟の叔父さんたちに 会いに行った時 お婆ちゃんを見送


った何年か後の お爺ちゃんの 最後の頃の 写真を見せてもらった 母


の尊敬するお爺ちゃん その子供達が受け継いでいる大きな深い愛 叔父


さん達には 20代の 貧乏学生の時 美味しい物いっぱい 食べさせて


もらって助けて貰った。「仲のいい叔父さん達のように生きていきたい」


と 二人の弟が 良く言っていた。そして 私が 今 スペインで 暮ら


しているのはこのお爺ちゃんおばあちゃんに はじまっているんだ と 


思うと 考え深い。             





アーモンドの花は 花咲か爺さんが 枯れ木に 花を咲かせるというのが 私


のイメージです 1月から咲きはじめるのですが この頃はアーモンド畑には柵


が してあるので写真を撮るのは なかなか難しい、今年はコロナで何処にも 


動けないので 海辺の近くに住んでる友達に頼んだら ちょうど 花と実が 


一緒に写ってる写真を 送ってくれました、海辺の写真もお願いしました 冬


でも太陽が出ると キラキラと 海も空も 地中海ならではの 輝きが心地い


いです、先週の日曜日は 地元の人たちが 太陽を浴びに来て賑やかだったそ


うです。





7枚の写真は うちのスタッフで コロナの前 2年も 続けて日本へ行った


エドウ君に頼みました、熊本まで行って 甥のやってる店の 魚伊智 弟の店


の 浜ん小浦 にも訪ねて行って、甥の飾らない 開けっ広げな性格で気持ち


よく迎えてくれたこと、生け簀から取り出した 天草の活魚をさばいてるのを


初めて見て、感動した事 弟が木斛邸の方にいると言う事になり、兄嫁さんが


ホテル迄迎えに行って木斛邸まで連れてってくれたので 程合いを見て弟に


電話したら 私が電話するまでは 食事が豪華すぎて 支払いの事心配しなが


ら食べていたと心細そうな第一声「ご馳走なので心配しないで安心してて食べ


ていいよ」と行った時の 安堵した、喜びの声 自分のお金で遠く熊本迄訪ね


て行ったご褒美にご馳走してくれるよう 弟に頼んだ。Googleマップで調べて


いたので浜ん小浦なら何とか食べれると思ってたらしいが、旅も最後の頃で懐


が心細くなってたとき、熱い、熱い、もてなしを受け、感動したようです。お


礼の手紙みも頑張って日本語で書きました。そして益々日本が好きになり 帰


ってからすぐ 日本語を勉強し始めました。英語も独学で覚えたそうです、日


本が大好きで 寿司の(今は巻き寿司専門なので)日本へ行って-握り-を学びた


い、という思いを申し出て来た。島の若者たちが日本へ行きたいと言ってくる


と 主人は 何やかやと 手を尽くして夢を叶えてあげている。そして 運よ


く 主人の友人が(ご夫婦でマジョルカを訪ねてくださった) 自分が学生の時 


アルバイトをしてらしたという お寿司やさんに頼んでくださって 2ヶ月間


弱ですが 修行に行くことが決まって 去年の3月中旬出発予定でしたが コ


ロナの問題で 残念ながら 断念せざるを得なくて 日本へ行きたくて 行き


たくてたまらない青年です。遠くの友達の家まで行って撮ってくれました。 


アーモンドは お菓子はもちろん 料理に入れると魔法がかかったような 不


思議な深い味になります、料理自慢達は 隠し味によく利用してます。そして 


花は妖しげな 凄い色んな表情を持っているので 私はアーモンドの全てに魅


了されているのですが 中々いい写真は取れないでいます。 今回は助かりま


した、友達にも声をかけて いろんな表情の写真をアップ出来たらと思ってま


す。花が散った後の若葉の時 下の大地に 真っ赤な アマポーラの花と マ


ルガリータの咲いてる風景もいいものです、私は 赤と黄色のコンビネーショ


ンは 日本にいる時は考えられなかったですが、スペインの国旗の色です。 


太陽 ひまわりの花 マルガリータ(春菊の原種だそうです)血の色の赤 スペ


インは動物の血も上手に取り入れて(スペインと言わず ヨーロッパ 南米 フ


ィリピンもですが) 微妙な味を出してます、お米と血のソーセージ、カタツム


リなどなど、えぇ〜?と思うような事がいっぱいあります、42年の間、外側か


ら日本を観てきました一主婦ですが 観て 聞いて 経験して 感じて 考え


る事を伝える 誰に? 後に続く人達へ 甥や姪 従兄弟達 知り合って  


ご縁が続いてる方々 そういう想いを持って 70歳代のライフワークがまた一


つ増えました。文章の組み立てや、表現など専門家には何だかな、と 思われ


る方もあるかもしれませんが、色々教えて頂けたたら助かります。       


「上見ても 下見てもキリが無いよ、人生 一生勉強だよ」42年前 日本を


出ると時、母からの はなむけ の言葉です。