二つの敗戦国家 日本とドイツの五十年   中山太郎著

今年の7月でした、いつも拝聴しているfront Japanの鈴木邦子キャスターが


中山太郎氏がお亡くなりになった事を話してらして知りました、中山外務大臣


の元で鈴木氏が著作の本の資料集めの事とか、ご一緒に仕事をしてらしてた頃


の話をしてらっしゃいました、この写真は 1994年10月当時の平成天皇陛下 


皇后陛下がホアンカルロススペイン国王のご招待で マジョルカ島にお立ち寄


り下さいました時に中山太郎代議士が 同行された時のお写真と、滞在され


てらした時ずっと一緒に行動していた主人が、サイン入りの本を戴いてきまし


た。私達はヨーロッパに長く住み、EUの国々の力関係、世界のパワーバラン 


ス、日本はどうなっているのかわからない事が多くて、特にドイツの事が分か


りにくかったので頂いた本を何度読み返したことか、チャンネル桜の、番組で 


ドイツ在住の、作家の川口マーンさんがドイツの実情を解説してくださって


ますが、やっと理解する事ができるようになりました。中山太郎代議士のご 


冥福をお祈りいたします、私たちの手元にその当時の写真が有りますので記念


になればと思い記載せていただきました。


神社⛩️への参道

盆栽から植えた楓の木が大きくなって、木が枯れ無いように大きめの枝を切り


落とし、大量の枯葉で神社の参道を表現してみました。


秋田の仙南市南外村の勝軍山へ一緒に行こうと 従兄弟の宮司、良信さんに


新年の挨拶電話をしました。

佐藤先生に感謝状

これはバレアレスの各地から集まってきた、レスリング、サンボ、グレコロー


マン、の選手とその家族、165名の大パーティ会場、バレアレスの各道場の


選手が国際試合で活躍した選手たちに表彰式を兼ねた懇親会、インターナショ


ナルの試合にも優勝してる選手が育って来ているので練習を見にきてくれない


か?と誘いを受けたのが事の始まり、会長のエウセビオ氏は12歳の時、サンボ


と柔道の技術指導を受け持っているフェルナンド氏は7才の時からの修武館の


生徒で15歳で黒帯をとった後、サンボの指導免許を持っている、子供の時に


あの頃若かった日本人の柔道の教師が暴れまくってた時期の出逢い。「あの時


佐藤先生に出逢わなかったら今のこの協会は出来ていなかったと」すごい感動


的な言葉と一緒に感謝の盾をもらった。フェルナンド氏の13歳の息子ルーカス


くんは、フランスでのインターナショナルの試合で優勝したばかり、     


お兄ちゃんの後を追って9歳で始めた妹のノエミちゃんは11歳、日本の 


須崎優衣選手の大ファンで日本にもレスリング留学したいと頑張っている。 


子供達の夢を叶えてあげたいと、お父さんのフェルナンド氏は、勤めている 


銀行を早期退職して、子供達の為に道場を建てたいと明確な夢を語り、早期に


実現したいと嬉しい言葉。場所も決めていると言う、幸せいっぱいの佐藤先生


病気なんかしてられないね。と背中を叩く女房、元気になったから何かいい 


ことがありそうな2004年がよ始まりました。