修武館 と命名

1976年(昭和51年)道場を開く、何月かは全然記憶にないそうです。前回載せた


武道祭開催が9月なのでその半年前あたりだと思うが 記憶は定かでないとい


う事です。道場は パルマの中心地から少し郊外になるが、近くには 市の体


育館があり、有名な ソンビダという5つ星のホテル その周りは凄い別荘地


でゴルフ場があり、羊が草を喰む牧場もあり、当時はのどかな場所でした。




記念の植樹に参加してくださった先生方 と 生徒さん達。




「これはヨシヒロではないか?」「えっ、ヨシヒロ君(私のいとこです)


こんな時期からマジョルカにいたの?」と新発見でした建築の勉強でマジョル


カに辿りついたらしい。その後マジョルカで陶器をやってた今の奥さんと知り


合い日本で建築家として活躍してて、懐かしい友達に会いに3年程前30年?ぶ


りに訪ねて来た。主人と会うのはなんと40年ぶりだ。






古い写真になりますが、ここからが佐藤さんの 新たな出発点のようです。




昇級試験の記念撮影みんな賞状をもらっていい笑顔、前列中央は日大の後輩福岡出身の福坂さんです、




生徒のみんなで、庭を手作り 今では皆んなの楽しい思い出 手前に写ってる


男の子は、大きいけれどペケと呼ばれている、この中で一番若かったので  


小さいという意味のペケニョ ペケニートの略でペケ、190センチほどある 


大きな男性なのに、今でもペケと私も呼んでいる。あれっ本当の名前は?


そして私を迎えてくれた時の、手作りの庭はこんなに立派になってました。




ワンちゃんの名は次郎と言います。子犬はゴン太、秋田の家でお父さんが 秋


田犬の飼育をしてて犬小屋で一緒に寝てたという、犬好きの主人の可愛がリ方


は凄かったです、でも次郎は一緒にジョッギングに行った時、羊の群れを追っ


て走って行って帰ってこなくなってしまいました。ズドーンと銃声の音がした


のがずっと気になってましたが羊飼いのお爺さんは知らないよの一点張り。




その当時、アルジェリアでガスプラントの仕事をしていたjGCを中心に関連企


業の人達が、怪我や病気をされたらマジョルカに来て治療をして体調整えて現


場のあるアルジェリアへ戻るという、疾病、ビザの取得や、休暇などのアテン


トの仕事を受けていて、その度、付き添いのお医者さんがやってらして、粉末


の味噌と醤油を持ってきてくださったのがとても有り難かった。当時は日本食


など何もなく、テレビは1局だけでお昼休みはテレビ放映がされないというビッ


クリする事ばかりでした。バス代は15円、コーヒー代も15円、日本に比べる


と格安の値段、ちなみに日本では350円くらいでした。そして軍隊には徴兵


制があり、柔道の選手も強くなった時期に2年間の徴兵で試合が出来なく力が


落ちたようです。その後 軍隊にもクラスが持てたのでスペイン各地の柔道家


達との縁も出来、軍隊同士の試合も行われるようになったようだ。


5年ほど前、その時のお医者さんが、地中海クルーズの旅行でマジョルカに立


ち寄るコースがあったのでと僅かな上陸時間なのに訪ねてくださいました。 


友達の紹介で2003年に されど団塊 という企画で日経新聞に勝軍の記事が


載った事があったので、私たちが、レストランをやってるのがわかったそうで


す。一緒に写っているのがもう一人の従兄弟 昭二(よしひろくんを頼ってやっ


て来た)これを何の縁と言うのだろう?



審判をされているのは若い頃の ぺぺ ロセス氏 主人がパルマにやってきて


柔道を始めた時すでに活躍されてて、主人がむしゃらに柔道をやって貧乏して


た時から仕事や 住まいや食べ物の差し入れなど色々手伝って貰ったらしい、


その後、7カ国語話せる彼はバレアレス柔道連盟の会長を兼任されながら国際


柔道連盟の審判秘書官を務められスペインの柔道に貢献された。もっと貫禄の


ある写真がいいのですが、主役はうちの子供達なので、、、




大人も子供も一緒になってグループに別れ闘う、市の体育館を借りて日頃の成


果を披露ユニークな企画に先生と子供達見学に来てる家族関係者も楽しかったと後での語りぐさです。