最初の訪問者はあの遠藤選手

私が道場で暮らし始めると同時期に当時17歳だったキッコ(フランシスコの呼び


名)が修武館に入門してきた、10歳くらいから柔道をやってて、主人が最初に始


めた柔道クルブパルマという道場の生徒さんだったようだ、お父さんが真面目


に毎日連れて来てたので記憶はあったが、生徒を引き抜かないでくれという約


束があり道場を移れないでいたとの事で、お父さんが病気で亡くなる時「佐藤


先生の所へ行け」と言う遺言で前の道場の先生には話をつけてくれてた様だ。


「父が亡くなりました」と、挨拶と入門が一緒でした。前の道場では国の正式


な試合に出場できなかったようで、やっとお父さんの夢が実現できて、先生と


一緒にいられるようになり 本当に嬉しそうでした。忙しく動き回ってる主人


の留守、まず掃除が彼の最初の仕事でした。「あらっ可愛そうに」と思ったの


ですが、年をとって彼が オリンピック というジムを経営した時「やっと厳


しく先生に言われた事がわかりました」と、話していた。私には歳の離れた弟


みたいで数えきれない程 色んなこと助けてもらいました。 


そしてある日「先輩、新婚旅行でマジョルカへ行きます、柔道着をもっていき


ます」と、日本の遠藤さんから電話がありました。柔道では時の人でした。 


剣道をやっているという可愛いお嫁さんを連れていらっしゃました。畳にも上


がってくださり稽古をつけて貰った生徒達はなんとラッキーなのだろうと、あ


の大きな体での足払いのスピードを見た時の感動は脳裏に焼き付いてます、そ


の後、秋田の経法大学の教授になられ 柔道以外にもいろいろ経験させてあげ


たいと4年後と8年後 二度ほど教え子の大学卒業旅行で道場を訪ねてください


ました。市の警察署にも柔道場を設置する事ができたので、生徒さん達も柔道


着持参の卒業旅行になりました。                       





そしてキッコは1年ほど 秋田の遠藤先生のもとに柔道留学生として合宿が決ま


り、もう一人のカマッチョは日大の合宿所へ、 私たちの結婚の仲人をしてい


ただいた木村先生に(日大の総監督と警視庁柔道の総監督をされていた)大変お


世話になりました。スペインでもかなりいい位置にいた二人、主人がシャトブ


リアンなどフランスでもいくつか講習会をやったりしてたので(フランスは武道


に対してのレスペクト、指導者にも柔道のレベル教え方など質を見抜く目が高


く厳しいそうです)そこにも参加したり、色んな経験をしていた2人のマジョ


リキン(マジョルカ出身者の事をいいますテニスの ラファ、ナダール選手もそ


うです)いよいよが日本行きです。



当時のバレアレス柔道協会会長のベルナルド氏より記念の盾受容




キッコの子供達との写真は日本から帰ってきて、本格的柔道指導者として活動


し始めた頃、バルセロナオリンピックの頃で日本の新聞にも載りました。


バルセロナオリンピックでは主人と一緒にフジテレビの仕事に参加しました。