マジョルカに嫁入りして42年

2月11日は建国記念日、42回目の結婚記念日、今年でスペイン生活が42年になる、1980年2月20日地中海に浮かぶスペインのマジョルカ島に着いた。ちょうど道場の庭にアーモンドの花が咲いてて、桜の花に似ているのでこんな花が咲いてるところだったら暮らしていけるかなと安堵したことを思い出した、今年で72才、20歳の誕生日の日、故郷の天草(熊本県)が狭いなぁと感じ始めてた私はお金がないので、北九州市の門司で美容室経営してた母のいとこの叔母さんの店で1ヶ月住み込ませてもらい旅費を稼いで東京に住んでいる従姉妹を頼って東京へ行った。そして10年住んで見て日本も狭いなぁと思い始めていた、そんな時会ったのが佐藤さん(今の主人)運命的な出逢いといえばそうなるのかな30歳を近くになってやりたい勉強もして仕事も軌道に乗っていた、そろそろ仕事で世界に出てみたいと思ってたところにニューヨーク行きの出張の話があった。仕事で世界に動けるチャンスが訪れてきてたので毎日が楽しかった。そんな時の出逢い。ヨーロッパ生活しながらそのころ何かいいチャンスが有れば仕事もできるかなと軽く考えてたところもあったが、人生を10年区切りでチャレンジしてみようと計画していたので仕事を辞めた後悔はなかったが、パリやイタリアとは違いここはスペイン、ましてやマジョルカは島だった、そして佐藤さんは修武館という道場を経営している柔道の先生、いろいろやりたい事があるらしくて1日24時間は短かすぎる、と駆け回っている、道場は柔道、空手、合気道、居合道、ヨガ、バレー、アェロビック、さまざまなクラスがあり、その昔どこかの外人学校の跡地を借り受けたらしくてかなり広い土地だった。そしてフランスの学校は校庭がないので小さな子供たちがバレーと柔道のレッスンに週一回道場にやってきた。イギリスの学校は大きな校庭も道場も持っているので体操の先生として出張授業、なんとも賑やかでてんやわんやの生活が始まりました。30歳近くになっても結婚の素振りも見せない娘に天草の父と母は心配してたので、「結婚するわ」と報告した時、母は喜んでくれたがその後が悪い、「スペインへ行くわ」いうと後の言葉が続かない母の心情痛いほどわかる、「娘はいない者だと思う」と言われた、10年間会いにきてくれなかった。その後二人とも3回スペインへ訪ねて来てくれたが今は父が他界して母とはコロナの事で会いに帰る事もできない、電話では娘とはわかるようだけど話が続かない、「元気だから心配しないでいいよ、あんたも気をつけんば」歌の文句じゃないけど思えば遠くへ来たもんだとつくづく思う、こんな想いを持って海外で暮らしている人は多いのではないかしら、お母さんの記憶の中にまだ娘でいたい、お母さんとつながっていたい、お父さんへの土産話ができるようにブログを始めようと思い立った。