京都のタクシーは世界一



田中先生とお別れした次の日、「京都のタクシーは世界一だよ」と主人がタク


シーを手配してくれた、高松の塚古墳 を見れるようなったという記事をが 


新聞に載ってたので吉野山まで行ってもらう事にしました、昭和47年3月21日


高松塚が発見された時 サロン、ド、シャポーのデザイン科の時の友達で、あ


の時代に、流行ってた、米軍基地のある、福生というお洒落な街に住み、  


インドへ旅をしたり、帽子の展示会をしたりユニークな活動をしてた帽子デザ


イナーの 近藤さんから、「日本の伝統の冠の作り手の方が高齢になられて、


作り方をちゃんとした資料で遺したいという事で文化庁の方からの依頼の話が


あったが、自分はできないので、受けてくれないか?」と当時 修士課の学生


だった 香山まりこさんと私の所に話が舞いこんできた。当時かなり高齢にな


られてた、冠創作者の京都のお宅にお伺いして、作り方を作成して、文化庁


に提出した経験があるので 新聞で記念館が完成したと言う記事を読んでどう


しても訪ねたかった、その後が凄いのです、「この付近で何か他に見れます


か」と訪ねたら、談合神社、 飛鳥寺などを名解説で案内して頂きました、そ


の時はその神社が 大化の改新 が行われる事になるきっかけになった神社と


聞いてもよく頭に入らなかったので、東京に戻って駒込の主人のアパートの近


くの古本屋で、学生の受験用に編集されてた、日本の歴史書を買って読んで見


た、タクシーの運転手の知識の深さ、親切で丁寧なお客様の応対にプロの精神


を学ばさせてもらった。



受験者向けに編纂された昭和41年初版 持ち主だった受験生がところどころ切り抜いてあるので、大事なところがわかりにくいが、歴史を学ぶには親切で心ある教育者の思いがつたわってくる内容の濃さ








たたずむ塔の姿が綺麗だったので 撮った写真と 挿絵